2006年01月09日

父のこと

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(株)井上ボーリングを創業した父・井上克巳

この写真はいつごろのものか、一番古い写真を載せてみました。戦中でしょうか。
後ろに写っているクルマもなんなのかわかりません。ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。
創業者である父・克巳は戦前は祖父が創ったタクシー会社で、T型フォードでタクシーの運転手をしていたそうです。遡ると祖父も日本で初めてヨーグルトを販売するミルクホールをやったりしたアントルプルヌールであったようです。父・克巳は戦後すぐに友人と「第一機関」というボーリング屋を創業し、その後昭和28年(1953年)私が生まれる2年前に(株)井上ボーリングを創業しました。戦争の影響もあって、私は父が40歳のときに生まれた長男です。

バイクやクルマとそのエンジンそしてゴルフを愛した父のことをHistoryというカテゴリーを使って少しだけ振り返ってみたいと考えています。
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2006年01月15日

創業直後

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まだ僕は生まれていないようです。

会社の営業車に乗って家族を連れて湘南あたりの海にでも行ったのでしょうか。昭和20年代、まだ自家用車などというのは高嶺の花、「ドライブ旅行」が庶民の間には浸透していなかった時代のことです。
父は毎週末車で家族をあちこちに連れてまわっていた、と今でも親戚が集るとその話しが話題になります。

クルマの運転ができるということが特殊技能であった時代。クルマ・バイク好きだった父は戦争から帰ると一家を支えるためにその修理を仕事にしました。それも自動車修理ということでなく、あらゆるエンジンの修理全般を引き受ける、ただしエンジンのパーツの修理再生加工だけをする会社=ボーリング屋をやることにしたんですね。
当時としては先端の仕事だったんだろうと思います。
このあと、日本にもモータリゼーションの波が押し寄せ、クルマもバイクもどんどん増えていきました。当時のエンジンは1万キロ走るたびにオーバーホールして使うものでした。ですから台数が増えると比例して仕事も忙しくなっていきました。

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2006年01月25日

フライング・フェザー

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父はエフエフって呼んでました。

この車ご存知の方いますかねー。表題の通りフライングフェザーっていうんだそうです。
自転車みたいなホイールの割にハイカラな名前ですけど、日本のクルマですよ。
父は新しもん好きで、いろんな車出るとなんだかみんな買っては試してましたね。
他にもカメラも好きだったし、8ミリなんかも好きでしたね。
テレビや後のカラーテレビ、クーラーなんかも回りのどこにも無い時から、ウチにはありましたね。

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そのエフエフの上でご機嫌なのが、将来の井上ボーリングをショって立つべき御曹司(私)(^o^)
脇に立って見つめるのが、若き日の父です。

やっぱり長男だって言うんで、かわいがられてたみたいですねー。
それにしてもほっそいステアリングホイール。ついたてみたいなウィンドシールド。かっこいいですね。(^^)
1950年代のビート。かな?
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2006年02月03日

スクーター

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このスクーターもなんて言うんでしょうねー

もしかしたら、これが僕の生まれて初めての二輪体験なのかもしれません。
でも、後ろ向き。(^o^)

ホンダS800の写真を探してもなかなか見つかりません。そのかわりにこんなのが。
一応時代の古い順に載せて行こうということで、こっちからになりました。
他にクラウンをワゴン(貨物?)に改造したの、とかスバル360などがこのあと登場する予定です。

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2006年04月08日

クラウン

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クラウンをステーションワゴン(?)に改造したクルマです。

父が考えて、業者に頼んでクラウンのセダンを改造してもらったんだそうです。残念な事にそれ以上の事は何もわかりません。
でも、当時こういうタイプのクルマが日本にはなかったことだけは確かです。父はこういう車があることを知っていて、手に入れたいと思ったんでしょうね。

父はいろいろなことにかわったアイディアを思いつく人でした。でも、それをあまり直接商売に結びつけたり、ということはなかったようです。
例外としてはちょうどこのクルマがあったころでしょうか。クランクシャフトを組み立てる治具を考案したことがあります。当時ホンダのバイクのクランクはよく芯が狂ったのだそうで、クランクの分解組立芯出しの仕事がたくさんあったそうです。あまりその仕事が多いのでプレス機を使ってカンタンにクランクを組み立てる事ができる治具を考案したのだそうです。
これを使うと誰でもカンタンにクランクを組み立てる事ができ、仕事の効率が飛躍的にあがりました。雑誌で広告を出してクランクの芯出しを請け負ったところ、仕事が殺到して、当時の新宿駅で伊勢丹の次に当社からの取扱荷物が多かったという話しは別のところでも紹介しましたね。

なんと先日調べたら、スバル360のクランクを組み立てる治具がいまだに当社に残っていました。もしスバルをお持ちの方がいたら、ぜひ一度ご用命ください。
その時にはまたblogで作業風景をご紹介したいと思います。(^^)

あまり欲のない父はこのクランク組み立て治具を他のボーリング屋さんにも作って譲ってあげたのだそうです。そしたら、この仕事はよそにも行ってしまってウチの仕事は減ってしまった、と古い従業員の方が昔嘆いていたのを覚えています。はは、父らしいや。
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2006年04月20日

MG MAGNET

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富士山をバックに。

一緒に写っているのは、僕の祖母です。創業者の母。

このクルマは思い出深いですねー。このクルマとほんとにいろいろなと
ころへ行きました。
毎週のように家族でドライブしていたし、夏休みには数日のドライブ旅
行に行くのが常でした。

初めてこのクルマがウチに来て、父が僕を乗せて近くまで試運転に連れ
ていってくれました。僕は嬉しくて嬉しくて、とてもはしゃいでいまし
た。
スピードメーターを観てつい言ってしまったんです。「すごい!このク
ルマ、40キロなのにこんなに速いんだ!」それを聞いた父は「バカだ
な。40キロは40キロでどんなクルマだって一緒じゃないか。このク
ルマはイギリス製だから、マイル表示なんだよ。」
小学生の子供相手にそんな言い方しなくたっていいじゃないですか、ね
え?

僕はいっぺんにつまんなくなってしまいました。っていうよりも、ほん
とに恥ずかしかったんです。調子に乗ってた自分が。でも、そんなこと
にも関わらず、僕はどことなく上品なこのクルマが大好きでした。

いまでも街で「自動車専用」の道路標識を見ると、このクルマを思い
出します。
あの標識のクルマ、なんだか、MGに似ていませんか?(^^)

探してきました。こんなのです。
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2006年04月25日

MG MAGNET-2

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これじゃあ、クルマの色はわかりませんね。

白だったのかなあ。
スピードメーターのガラスには後から黄色いペンキでkm/hの数字
が描き加えられました。なんだかカッコ悪かったなあ。

家族が6人いても僕はいつも助手席でした。特別待遇。(^^)

今のクルマにはありませんけど、あの「三角窓」っていうものが僕はな
んだか好きでした。
この頃の英国車にはクーラーなんてものはありませんでしたからね。

路面が舗装されてませんけど、そんなことも珍しくはなかったな。ロー
ドクリアランスが少なくて、田舎の道へ行くと他のクルマの轍に入って
走るとすぐにガリガリおなかをこすってましたね。

それで、父はタイヤが轍に落ちないようにいつも気を使いながら走って
いました。



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2006年06月13日

スバル360

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スバルクラブのラリーに参加した時の一コマ

フロントになんかゼッケンが貼ってあるのはラリー中だからです。
それにしてはのどかすぎ。(^^)

ラリーっていっても、すんごく安全運転なタイムが設定してあって、ド
ライブしてそのタイムになるべく近く
ゴールするっていう感じだったと思います。

あとはゴールの大きな駐車場でちょっとジムカーナみたいな運動会が
あったり、縦列駐車コンテストみたいのが
あったり。
ジムカーナでひっくりかえったスバルをみんなで起こしてたのが印象的
でした。@_@

タイヤ交換スピードコンテストみたいのがあって、父はズルをして最初
からボルトを緩めておいて優勝してましたね。
「だって50mくらいしか走んないんだから外れる訳ないだろう。
わはは。」って自慢してました。(^o^)

写真に写っているのは、姉と小学生の私です。
1965年前後でしょうかねー。


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2006年10月24日

フジ キャビン

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発見しました!フジキャビン!!

久しぶりにHistoryの投稿です。
とうとう見つけました!フジキャビンの写真。といってもこれはウチで所有していたわけではないようです。創業者の父がFF(フライングフェザー)に乗ってドライブ中にたまたま出会ったんだと聞いたことがあります。
この頃の日本にはオモシロい意欲的な小さなクルマがいっぱいあったんですね。

相手のオーナーの方とお互いのクルマを覗き込んでいるのが、なんとも微笑ましいですね。フジキャビンを覗き込んでいる方が父です。(^^)

昔はなんとなくクルマのオーナー同士にちょっとした連帯感のようなものがあった気がします。父が好きだったBMWで走っていて、向こうからBMWが来るとお互いに手を揚げたり、フォーンを慣らしたりしたものでした。
滅多にBMWがいなかったからこそ、でしょうけれどね。

そのBMWもこのあと登場する予定です。他にもだいぶ古い写真を発見しました。父が乗っていたなんだかわからないバイクも登場します。お楽しみに(?)


posted by sotaro at 09:39| 埼玉 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

スバル360

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先日も会社にこのクルマのファンのかたがおいでになって、いろいろとお話を伺いました。

根強いファンのかたがたくさんいらっしゃるようですね。
シリンダーの状況について、また写真のクルマの年式についても教えてもらいました。
以前にスバル用のシリンダーのスリーブを鋳鉄でつくった話もしました。

このクルマはだいぶ古くて珍しい部類にはいるんだそうです。
左の前、バンパーの上についているのは、たしか「スバルクラブ』のバッジだったと思います。

スバルが集まってラリーやジムカーナもどきなことをやっていたんです。

左が父、中が姉、右が私です。
この当時父は小さなクルマに強い興味を持っていたようです。
フライングフフェザーに始まってこのスバル360、HONDA S600、それにトヨタスポーツ800も。
そうそう営業用にはスバルサンバーやダイハツミジェットも使ってましたね。

おそらく父は自分でこんなクルマを作ってみたかったんじゃないのかなー。
ずいぶん後年にも、3輪のバイクのスケッチをさかんに書いていた時期がありました。
あれはまちがいなく自分で発明したかったんだと思います。今のピザ屋さんのバイクみたいで
実現すればオモシロかったんですけどねー。

posted by sotaro at 11:21| 埼玉 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

もちろんバイクも

久しぶりのHISTORYカテゴリーの投稿です。

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父はもちろんバイクも好きでした。

写真はDKWっていうんでしょうか?なにもコメントなど残ってなくてわかりません。
場所は箱根でしょうかねー。二人乗りして行ったんでしょうか。

年代もなにもかもわからないので、ご紹介のしようがなく、ついついHISTORYのカテゴリーは更新が滞ってしまいます。

4輪の方はスバルのあとはBMWとかルノーなんかが続く予定です。

このあともなにか写真がみつかったら更新していこうと思います。
もしわかるかたがいたらぜひ情報を付け加えていただければと思います。

よろしくお願い致します。


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posted by sotaro at 15:23| 埼玉 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月10日

BMW

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BMWと母と姉

意外にこのHISTORYのカテゴリーにご要望があるので、お応えしてみます。


品川5のナンバーがいいですねー!(^o^)


これはたしか初代の1800のモデルではなかったかと思います。
父はほんとうにBMWが好きでした。バイクもクルマもBMW。
なぜかベンツはあまり好きではなかったようで。
スポーティーな雰囲気をBMWに感じていたようです。

この頃はBMWなんてクルマを知ってる人はほんとに少なかったです。
もちろんまだBMWジャパンなんてなくって、品川にあったバルコムトレーディングまで
新宿にあった本社工場から、僕も何度か助手席に乗せられて行った覚えがあります。

このクルマは割と短期間で入替えられたようですが、平行してバイクも入手し、
そのあとも長く別のBMWに乗っていました。

その当りの写真もこのあと探してきますね。

posted by sotaro at 15:32| 埼玉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月30日

このバイクなんでしょう?

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僕はまったくお手上げです。
もしなんのバイクかわかる方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

2ストですね。国産かなあ。
フロントフェンダーの風切りについているマークはよく見てもヒントにはなりません。
それは親父が考えたIBの昔のロゴだからです。(^^)

タンクのマークはよく見えませんねー。


話はちがいますが、僕はよく親父にそっくりだって言われます。
クローン人間だろう、なんて言われることもあります。

そうなんですかねー、自分では全然そう思えないんですけど。(^^;;;
posted by sotaro at 09:46| 埼玉 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

iB創業前史

先日、墓参りに行ってきました。

これはお寺の庫裏で撮った母の写真。
行き帰りのクルマの中で昔の話を母に聞いてみました。

母との会話ってちょっと話題に困るんですよね、それで昔話を、、、、。(^^;;;


iB創業者の父の父(僕の祖父)はアントルプルヌール(?)であったようです。(^^)

関東大震災の前までは千葉(浦安?)に牧場をもっていて、
都内で震災前まで「ミルクホール」というものを経営していたそうです。

その頃、「理研のニシナヨシオ博士」と 共同でヨーグルトを開発。
販売もしたが、あまり売れなかったらしい。(酸っぱくて)(笑)

このニシナ博士はあの原子爆弾研究の仁科芳雄博士と同一人物でしょうか???
母の話だけではさっぱりわかりません。そうだとしてもまだこの時期には原子爆弾は研究してなかったでしょうし。

震災で大きな被害を受け、家族で故郷の福井県に疎開。
その後自分だけ先に東京に戻り、今度はタクシー会社を始めたんだとか。
父は中学を中退して祖父を手伝ってタクシーの助手から仕事を始めたそうです。

大きなお屋敷にガレージがあって、8台くらいのタクシーを使って第2次大戦が始まるまでは営業していたそうですが
戦時中に祖父は病気でなくなったようです。
その頃、父は徴兵されていて、南方の戦地から戻った父が(株)井上ボーリングを創業した、ということになります。

長男だった父も元気だった祖母と兄弟姉妹7人を養う為に、戦争から戻って頑張ったんでしょうね。

僕が生まれるのは創業の2年後です。(^^)


ミルクホールもタクシー会社も当時は最先端のビジネスだったんだろうと思います。

戦後の荒廃した日本では内燃機屋だってきっと来るべき未来の自動車社会を支える注目の成長産業だったのでしょう。

戦前にはクルマの運転ができるっていうのは今のパイロット以上のステイタスだったんじゃないでしょうか。
一般家庭には自動車なんていっさいない時代ですからね。

車種はフォードのT型とかだったそうです。
三宅坂が急で上れず、減速比の大きいバックギアで登ったんだなんて話を生前父から聞いた事があります。

久々のHistoryカテゴリーへの投稿でした。(^^) まあ、お彼岸らしい話題でしょ?








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2017年06月28日

戦前の父の免許証とMG magnette

家のタンスから、戦前の父の「自動車運轉免許證」が出てきました。
昭和16年と書いてあります。
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父はこの免許證を持って、戦前は祖父の経営する会社でタクシーの運転手をしていたと聞いています。
免許證は皮の表紙で12ページもあります。ちょっとパスポートみたいです。

そして、もう一枚写真がでてきました。
こちらはもちろん戦後のものです。
MGマグネットという車です。

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おそらく、箱根の仙石原のススキ草原ではないかと思います。
僕が子供の頃、井上家は毎週末このクルマでドライブに行っていました。
いまでも僕はこのクルマが大好きです。
posted by sotaro at 09:42| 埼玉 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする