2012年03月22日

iB創業前史

先日、墓参りに行ってきました。

これはお寺の庫裏で撮った母の写真。
行き帰りのクルマの中で昔の話を母に聞いてみました。

母との会話ってちょっと話題に困るんですよね、それで昔話を、、、、。(^^;;;


iB創業者の父の父(僕の祖父)はアントルプルヌール(?)であったようです。(^^)

関東大震災の前までは千葉(浦安?)に牧場をもっていて、
都内で震災前まで「ミルクホール」というものを経営していたそうです。

その頃、「理研のニシナヨシオ博士」と 共同でヨーグルトを開発。
販売もしたが、あまり売れなかったらしい。(酸っぱくて)(笑)

このニシナ博士はあの原子爆弾研究の仁科芳雄博士と同一人物でしょうか???
母の話だけではさっぱりわかりません。そうだとしてもまだこの時期には原子爆弾は研究してなかったでしょうし。

震災で大きな被害を受け、家族で故郷の福井県に疎開。
その後自分だけ先に東京に戻り、今度はタクシー会社を始めたんだとか。
父は中学を中退して祖父を手伝ってタクシーの助手から仕事を始めたそうです。

大きなお屋敷にガレージがあって、8台くらいのタクシーを使って第2次大戦が始まるまでは営業していたそうですが
戦時中に祖父は病気でなくなったようです。
その頃、父は徴兵されていて、南方の戦地から戻った父が(株)井上ボーリングを創業した、ということになります。

長男だった父も元気だった祖母と兄弟姉妹7人を養う為に、戦争から戻って頑張ったんでしょうね。

僕が生まれるのは創業の2年後です。(^^)


ミルクホールもタクシー会社も当時は最先端のビジネスだったんだろうと思います。

戦後の荒廃した日本では内燃機屋だってきっと来るべき未来の自動車社会を支える注目の成長産業だったのでしょう。

戦前にはクルマの運転ができるっていうのは今のパイロット以上のステイタスだったんじゃないでしょうか。
一般家庭には自動車なんていっさいない時代ですからね。

車種はフォードのT型とかだったそうです。
三宅坂が急で上れず、減速比の大きいバックギアで登ったんだなんて話を生前父から聞いた事があります。

久々のHistoryカテゴリーへの投稿でした。(^^) まあ、お彼岸らしい話題でしょ?








posted by sotaro at 09:43| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「理研のニシナヨシオ博士」って理化学研究所の仁科博士のことであってるのでは??
それにしてもミルクホールとはハイカラですねえ。
Posted by あつし at 2012年05月21日 23:26
あつし様、コメントありがとうございます。
やはりそうなんでしょうね?
でも、どうしてそんな方と一緒にヨーグルトなんか造ってたのか、不思議です。調べる方法もありませんが、、、(^^;;;

ミルクホールの普及は当時の国策でもあったようですね。

Posted by iB井上 at 2012年05月22日 08:14
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