2011年07月03日

新しい時代のスポーツ

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1999~2001、3年続けてウェイクボードのワールドに出場しました。
結果はベテランズクラス2位、2位、3位。
思えば偶然ですけど、ちょうど20世紀から21世紀にかけてだったんですね。(写真は去年のものです。)

初めて世界選手権に出ることになって(まあ若い選手の世話がかりのようなものだったかもしれません。)
若い選手達と一緒に現地で前日練習なんかにも参加しました。

ところが、明日が世界選手権だっていうのに、若い選手達はぜんぜん関係のないニュートリックにトライしたりして
大盛り上がりです。これが僕にはショックでした。彼らがいくら口では「勝ちにいくなんてカッコ悪い」と言ってても、
いざ前日ともなれば大会に備えて一度くらいルーティーンをおさらいしておくのだろうと思っていたんです。

彼らにしてみれば、せっかく本場フロリダまで来て最高の環境でウェイクボードができるのだから、この瞬間を楽しまなければ意味が無いと思っていたのに違いありません。そこで存分に楽しんで、それで気持ちが盛り上がって本番を迎えればそれでいい、ということなんでしょう。

でも、実際には競技で勝つにはやっぱり本番を想定して練習した方が得なんです。僕は水上スキーでそういうノウハウを知っていたので、いつも大会ではおおむね実力を発揮することができて、おかげでたいした実力でもないのに割と表彰台を逃すことなくずいぶん得をしていたと思います。
僕のやりかたの方が無駄はなかったと思います。だた、それは「競技で勝つ」という価値基準で考えれば、なんですね。

ようするにウェイクボーダーにとっては心の底からウェイクボードを楽しむことの方が、競技で勝つなどということより価値が高い、ということなんです。ここに新しい時代のスポーツの特徴があるように思います。エクストリームスポーツ、X-sports、横ノリ系、などと呼ばれたりしますね。オリンピックではなくてX-GAMESにあるような競技です。

僕はこの「横ノリ」という言い方が新しいスポーツの雰囲気をよく表しているように感じています。スケートボード、ウェイクボード、スノーボード、旧いけれどサーフィンもそうですね。どれも本来的にはタイムや得点のような数字で競うスポーツではありません。そしてスタンスがサイドウェイなんです。つまりスキーや水上スキーだと進行方向にまっすぐ向いて乗ります。いかにも速さを競うかんじです。一方、横ノリ系では進行方向に対して横または斜めに向いてボードに乗ります。速さというよりはバランスをとっている感じがしませんか?

つまり、彼らは板に乗る最初っから「斜に構えている」んです。ははは(^o^)

この楽しむことを第一義に考える姿勢、これが21世紀のスポーツの在り方として非常に魅力的に僕には思えます。スポーツをする気持ちのいい環境で仲間とともに最高の時間を共有すること。これこそが新しいスポーツにとって一番大事な意義なんです。それはウェイクボードのように水の上かもしれないし、ビンテージモトクロスのようにホコリだらけの土の上かもしれません。

このビンテージモトクロスも僕にはとても興味深いイベントに思えました。ヨコ乗りというわけではないんですが、そこではみんな旧いオートバイを持ち寄って(速いはずがありません)それを惜しげも無くドロの上で走らせて、なんとも愉しそうに「ミーティング」をしています。一応表彰のまねごとはしますが、賞品は上位の人には何も出ず、面白いバイクで走ってた人やがんばってた女のコなんかに豪華賞品が出されるんです。それも主催者の主観で。
このイベントで目を三角にして勝ちに行ったとしたらそれこそKYだってことです。

今年僕はレジェンド・オブ・クラシックというこれも旧いオートバイのロードレースに出場しようと企んでいるんですが、これもあまり勝敗を重んじないもののようで、HPの「LOCとは」という所を見ると「もちろんLOCはヒストリックレースにおける競技性を否定するわけでは有りません。」なんて書いてあります。しかもその部分だけアンダーラインつきで。レースですよね?LOCってレースなんですよね?!(^o^)
参照してください。「LOCとは」
http://www.britishbeat.co.jp/LOC.html

どうでしょう。感性のするどい人たちはとっくに古くさい勝った負けただけにこだわるような競技スポーツは卒業しつつあるのかもしれませんよ。
そしてそれは、昨日までに延々とみてきたように、時代の変化に伴う必然的な流れである可能性が高いんです。

どうします?ガチガチの競技志向のスポーツマン達。(^o^)



ただ、僕は旧来の「競技スポーツ」には新しい時代には存在意義が無いとか、もう競技スポーツはおしまいだ、などと言うつもりはこれっぽっちもないんです。競技スポーツにはまちがいなく素晴らしい存在意義が今後ともあります。なぜか。

#それは「競技」が面白いから、愉しいから、です。
(逆に言うと度を超して、愉しくない競技はもうだめってことにもつながります)

例えばジャンケンだって本気でやったら面白いですよね。100万円かけて10回戦くらいで本気でジャンケンしたらめっちゃおもしろいだろうと思いますよ。勝った負けたは本質的には「面白い」んです。
上のような新しいスポーツも多くの人が集まってなにかやろうと言うとき、たいがい競技会の形式をとります。そうせざるを得ないんですね。ただ、みんなで集まって何かやりましょうと言っても、なにをやっていいかわからない。とりあえず競技会をやろう、と言えばみんなすぐに何をやるのかわかるし、やりかたもだいたい決まってくるし、スポンサーだってつきやすいと思いませんか?

だって、みんなで集まってだらだら過ごしたいんですけど、スポンサーになってくださいって言っても、、、、ねえ。(^o^)
でも、競技はそういうイベント成立のための便宜に過ぎません。

競技性=「勝った負けた」が面白い、というのはおそらく生物である人間の本能に根ざしたことで、これは未来永劫変えようがないでしょう。
ただ、その勝ち負けのおもしろさだけが全て、というのではこれからは不十分なんです。水の上で宙返りができたって、そんなことに何の意味があるのか。ありません。もともと100mを誰より速く走ったって、そんなことなんの役にも立ちません。誰より高く棒高飛びしたってなんになるでしょう。

20世紀にはなにか一定の条件のもとで勝利すること、それ自体に時代が意味を与えていました。競って勝って白黒つける、そういうやりかたで何事も雌雄を決しようという時代の中ではどんな勝敗にも意味があったんです。
でも、時代が変わってしまいました。勝った負けたは依然として面白いけど、そこに意味はなくなってしまったんです!



どうでしょう、ここまでで一応論旨は尽くしたことになるんですが、いまひとつ競技スポーツの信奉者のかたには納得がいかないでしょうねえ。

明日、またうまく補足ができそうだったら、これから「競技スポーツ」がどうなっていけばよさそうなのか、書いてみたいと思います。




posted by sotaro at 09:47| 埼玉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 僕がこの10年考え続けている事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今更の書込みで失礼しますが、その通りなんですよね!

楽しめないと辛いだけですから。
だから「本当に楽しい事」を満喫する事が一番だと
思っています。現在の自分にとってですね。

旧い日記とは言え、書かれている事は全く同感です!
ジャンルが違えぞ「自分で書込んだのでは?」と
思う程にですね(^^
Posted by R1-Z黒 at 2011年09月21日 00:23
R1-Z黒様、コメントありがとうございます!

>>「自分で書込んだのでは?」と思う程にですね(^^
これはまた、最高のお褒めの言葉ですね。

たとえたいへんな状況の中にいらしても、愉しむことを忘れないでいようとされるR1-Z黒様の姿勢に、とても強いものを感じ、敬意を抱かずにはいられません。

「人生は愉しい」
なんとかして自分にそう思わせることができるように、なんとかやっていくよりない、と僕もそう思います。
Posted by iB井上 at 2011年09月21日 02:54
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