
真剣に勝ち負けにこだわる水上スキーヤーから見ると、なんだか遊んでるみたいなウェイクボード。
20世紀と21世紀では、人類が物事に対処する方法がまるっきりちがっている。昨日そういうことを書きました。
以前は全力で競争して白黒つければいい。そう思っていたのに、最近ではいや人にはそれぞれ個性があって得意なことも不得意なこともある。
それぞれの個性やスタイルをそのままに認めて、おたがいに助け合って行くほうがいいんだっていうことになってきました。
例えば脚が速いのも遅いのもそれぞれひとつの個性であって、別にどっちが優れているというわけでもないじゃないかって考える訳です。
それじゃあ、よーいどん!って競争することなんか、なんの意味もなくなってしまいます。
ではいったいどうしてそんなふうに人類は変わってしまったんでしょう。
その前に、じゃあ、いったい「競争」っていうもののそもそもの意味はなんだったのか、ということを考えてみたいと思います。
スパームコンペティションってありますよね。精子の競争。一番速く卵子に到達した精子だけが勝利して、卵子に飛び込むことができて人間として誕生することができるっていうあれです。僕らは生まれる前からそうやって競争を勝ち抜いて生まれて来たんです。
これが生物の競争の根源的な意味を表しているように思います。
「ほらみろ、人類に競争は不可欠じゃないか。」もともと20世紀人である僕なんか、ついそう言いたくもなります。
そういう元気な優れたものを持ったものだけが選ばれて生き残って行くというのは、「種の保存」のためにどうしても必要なことでした。
脚が遅くて逃げ遅れれば、ライオンに食べられてしまう。
あらゆる生物がそういう競争の結果として生き残って来たと考えていいんでしょう。
つまり「競争」というのは人類という生物の「種の保存」のためにまちがいなく必要なことだったんです、ーーーーーー#20世紀までは!
ところが、昨日までもみてきたように人類は20世紀に異常繁殖して、地球上では最強の種になってしまいました。
それもあまりにも圧倒的に勢いが強すぎて、他の種を滅ぼすつもりなんかないのに、地球上の多くの生き物が人間の為に絶滅の危機に瀕するほど巨大化してしまいました。
今この21世紀に人類の「種の保存」を脅かすものがあるとしたら、なんでしょうか。
もう僕らはライオンにも熊にもまけません。(^o^)
津波はたいへんなことでしたし、被災者のかたには心からお見舞い申し上げますが、あんなに千年に一度の最強の自然災害がきても人類は滅びるどころか、日本一国でさえ今年一年も経済はプラス成長を続けるそうじゃないですか。
まして、日本人は助け合って生きるという素晴らしい新しい価値観を身につけそうだし、世界もまたそれをサポートしてくれています。
鳥インフルエンザが人類にも及んでパンデミックになって大変なことに、、、、なりそうもないですよね。僕ら人類はそれが発生する前からその予測ができて対処方法も、まあある程度は考えられているようです。
AIDSはどうでしょう。恐ろしいけど、まあそれでもなんとか抑え込んでいませんか?
ちょっと方向をかえて第3次世界大戦とか、、、。 物凄いテロがあって、それに怒って世界中が戦争を始める。まあ、ないことはないかもしれませんが、あまり現実的ではないような気がします。特に人類がだいぶ賢くなった21世紀には。
地球温暖化がどうにも激しくなって抑えられなくなってしまう。まあ、温暖化はするし困ったことではあるかもしれませんが、人類が滅びるほど極端になる前になんとかしましょう。だってもう世界がそれに気づいて対策会議やってるんですからね。
あとは映画みたいに、恐竜を滅ぼしたような彗星が地球に激突する。これはもし突然ほんとに来たら避けられないかもしれません。でも、これ、心配してもしょうがないと思いません?
あとは宇宙人の襲来とか、、。ははは(^o^)
僕には今すぐ人類の「種の保存」を脅かすようなことがどうも思いつきません。多くの人もそうなのではないでしょうか。どんなに人を心配させて煽り立ててそれで商売している大新聞やテレビなどのマスコミが大騒ぎしてみせても、少し目の利く人はもうそんなものカンタンには信じなくなっています。
さらに、上であげたような問題の多くのものが実は人間自身の行動の結果によるものです。例えば地球温暖化は人間が出すCO2が原因だということです。だとすればCO2の発生を急に減らすのは難しいとしても、それがほんとうに大変な問題なら、人類自身が行動を改めればいいだけのことですよね。
戦争だってやりたくなければやらなければいい。人類自身の選択の問題になっているんです。
これが最大のポイントだと思います。
つまり、既に人類の「種の保存」を外から脅かすものはなくなってしまった。人類を脅かすものがあるとすれば、それは他ならぬ人類自身だ。だとすれば、もう人類はこれ以上「競争」して切磋琢磨して強くなる必要なんかひとつもない。むしろ人類が強すぎることこそが問題なのだ。だったら、おたがいにペースダウンして、助け合うことさえ覚えれば、人類はもう安泰なんだ!
ほんとうにそうなのかどうか、それは誰にもわかりません。でも、人々が「競争」に飽きて「協調」にむかっていることは間違いないように僕には思えます。
さあ、そういう世界の中で競争のひとつのカタチとして20世紀に大発展した競技スポーツはこれからどんな役割を担って行けばいいのでしょうか。
すいません、またまた長くなっちゃったので、また明日に伸ばさせていただきたいと思います。
雑誌と違って原稿の締切がないblogは自由でいいですねー。わはは。(^o^)
【関連する記事】